私は30代の半分を、引きこもりとして過ごしました。
仕事を辞めて、実家で何もせずに過ごす日々。
「このままじゃダメだ」と思っていても、何をどうすればいいか分からない。
そんな私が、36歳で大阪から宮崎へ単身移住することに。その後、結婚し、子どもが生まれ、家を建てました。
一言でいえば、人生が面白くなりました。

移住したい気持ちはあるけれど、踏み出せない…。
もし今、そんな状態にいる方はこの記事をぜひ読んでみてください。
なぜ私が30代で地方移住を決めたのか、どんな不安があったのか、それでもなぜ動けたのか。

リアルな話を書いていきます。
30代の私は、働いているのに引きこもりでした
「引きこもり」と聞くと、無職で部屋に閉じこもっている人をイメージするかもしれません。
しかし私の場合、引きこもり期間の大半は「働きながら家から出ない」生活でした。
30歳からの約6年間、私の人生は止まったままでした。
30歳で仕事を辞めて、無職になった(2016年)
20代の頃の私は、塾講師やコンビニの夜勤、日雇い労働など、フリーターをやりながら行き当たりばったりな日々を送っていました。
30歳を目前にして、「さあ、そろそろ真面目に働くかな、みんなのように」と就職を決意。
ところが、世の中を完全に舐め切って生きてきたせいで、仕事で心身がボロボロに砕けて早々と退職することになります。
無職で両親のすねをかじりながら、約1年間、実家で何もせずに過ごす日々が始まりました。
「このままじゃ、あかん」と頭では分かっていました。でも、動けない。何をどうすればいい? まったく分からない…。空虚な自問自答を繰り返す毎日。
転機が訪れたのは、久しぶりに連絡をくれた知人の誘いでした。

最近、調子どうや?
聞いたで、えらい大変らしいやん。

あかんわ、ぐずぐずや。
一生、社会復帰できる気せーへん。
どないしよかな。

ほな、在宅ワーク、紹介したろか?
最初はアルバイトで働いてみたら。
幸運にも、知人のサポートを受けてWeb系の会社で在宅ワークを始めることができました。
最初は週に三日ほどのアルバイトとして働き、やがて正社員になりました。
仕事はパソコンとネット環境さえあればどこでもできます。私の職場は、実家の自室でした。
アルバイトを始めただけでも、ようやく社会復帰できた、と当時、安堵したのを覚えています。
何より、親が、少しほっとした様子で喜んでくれたのも忘れられません。
働いていても、本質的には引きこもりだった
今振り返ると、あれは「働く引きこもり」とでも呼ぶべき状態だったと思います。
仕事はある。収入もある。でも、毎日、家から一歩も出ない。打ち合わせも全部オンライン。
家族と少し話すくらいで、それ以外は誰とも会話しない日々。声量の微調整のやり方を忘れて、コンビニで、「タバコ、ください」の声が極端にでかくなってしまう…。
「働けているから引きこもりじゃない」と自分に言い聞かせていました。でも、心のどこかでは分かっていました。社会との繋がりがほとんどない、ということを。
そんな日々の途中で、2020年、コロナ禍が始まりました。
世間はパニックでした。リモートワークへの急な切り替え、外出自粛、人との接触を避ける生活。多くの人が「家から出られない」ことに苦しんでいました。
しかし、私にとっては、生活がほとんど変わりなく、それどころか、正直に言うと、少し楽になったとさえ感じました。
社会全体が引きこもりのような状態になって、自分だけが取り残されている感覚が薄れた。「みんなも、家にいる」という事実が、私の心を少し軽くしてくれた気がします。
これは、当時の私が誰にも言えなかった本音です。世間が苦しんでいる時期に、自分だけが「楽になった」と感じることに罪悪感もありました。でも、それが事実でした。
「家で仕事できるのはありがたい。でも、それだけじゃ足りない」
コロナ禍が落ち着いてきても、私の引きこもり生活は続いていました。
家で仕事できるのは、とてもありがたい。でも、これだけではだめな気がする。この期間、私を悩ませていたのは次の3つの感情です。
- 自分だけが取り残されている感覚
- 「このままじゃダメだ」と思いながら動けない葛藤
- 身体を動かさないことによる閉塞感
ひとつは、自分だけが取り残されている感覚。

SNSを開けば、同世代の友人が結婚したり、子どもが生まれたり、新しい仕事に挑戦したりしていました。
みんなの人生が進んでいるのに、自分だけが同じ場所に立ち止まっている。
もうひとつは、「このままじゃダメだ」と思いながら動けない葛藤。頭では分かっているのに、体が動かない。
そして最も大きかったのが、身体を動かさないことによる閉塞感でした。一日中、部屋の中。同じ椅子に座って、同じ画面を見て、同じ場所で寝る。
体が動かないと、心まで動かなくなる。あらゆるものに対する感動を忘れてしまいます。
リモートワークの詳しい実態については「フルリモートはやめとけと言われる理由|10年続けた私が見たリアルな実態」の記事もぜひご覧ください。
人生が動き出した「サーフィン」との出会い
6年間、家から出ない生活を続けてきた私が、ある日突然「月一で宮崎に通う人」になりました。
きっかけは、友人の誘いで参加したサーフィン体験旅行。
友人の誘いで、宮崎にサーフィンしに行った(2022年1月)
2021年12月のある日、友人から突然、こんな旅の誘いがありました。

1月に宮崎、一緒に行かへん?
サーフィンしよや。
その友人は、もともとサーファーでした。職業は全国を飛び回る系の弁護士で、出張がてら日本各地の海でサーフィンをエンジョイするのが最高の喜びと言っています。
私とは対照的なバイタリティーに満ち満ちた、いかにも「人生、充実させてます」みたいな人物です。

1月の真冬やで。
死んでまうわ。

リアルサーファーは夏でも冬でも波乗りするねん。

おれ、サーファーちゃうで。

日本海と比べたら宮崎の海はそんな寒くない。
おもろいから、行こうぜ。
旅のプランを聞けば、彼は仕事があるから、途中で合流するとのこと。つまり実質、一人旅というわけです。
しかし、弁護士サーファーは面倒見がいいので、民宿やサーフショップでレンタルするサーフボードやウェットスーツの予約をクイックに済ませてくれ、
さらには、おすすめの飲食店やレンタカーの情報提供まで、旅行代理店みたいにセッティングしてくれました。
久しぶりの電車、久しぶりの飛行機。出発の朝から、子どもみたいにドキドキしていました。
何年も家からほとんど出ていなかった人間にとっては、移動そのものがビッグイベントです。
波乗りで、「ああ、生きている」と実感
宮崎の海で、生まれて初めてのサーフィン。弁護士サーファーが予約してくれたショップで、サーフィンスクールを受けることに。
最初はボードの上に立ち上がることすらできません。それに、やっぱり寒いやんけ。波が大きくて、怖い。
でも、沖のほうから波がやってくるのが目に入ると、心が自然と浮き立ち、無我夢中で波に乗ろうと体が動きます。
それまでの私の生活は、徹底的にデジタル。
朝起きて、パソコンを開いて、画面を見て仕事をする。ご飯を食べるときも、寝る前も、ずっとスマートフォン。
サーフボードから落っこちて、波に巻かれて、海から顔を出すと、全身にこびりついたデジタルが洗い流された感じがしました。

引きこもりデジタル生活を6年間続けてきた私が、宮崎へ一人旅、そして真冬の海でサーフィンするなど、想像さえしていませんでした。
ボードの上で波を待ち、茫洋とした太平洋を眺めながら、私は何度も心で呟きました。
「生きてる、ああ、ちゃんと生きてるわ、おれ」
私を引き付けたのは、サーフィンだけじゃなかった
それ以降、私は毎月のように宮崎へと通うようになりました。
しかし、私に何度も「また宮崎に行きたい」と思わせたのは、サーフィンそのものではありませんでした。
ひとつは、サーフィン仲間との交流。
サーフィンをきっかけに知り合った地元のサーファーたちは、私を温かく受け入れてくれました。

海辺で歯医者をやっているサーファーが私の師匠となり、サーフィンを教えてくれました。宿泊先の民宿のオーナーも、サーファー。毎月、会うのが楽しみでした。
もうひとつは、宮崎の雰囲気そのもの。
海辺ののんびりとした空気感、人のあたたかさ。食べ物もおいしい。大阪で生まれ育った私には、すべてが違って感じられました。
気がついたら、サーフィンよりも「宮崎で過ごす時間」自体が好きになっていました。
宮崎にいる時は、体も心も活き活きと動いていて、自分の人生が動いている感覚がありました。
毎月の宮崎通いは、半年ほど続きました。
移住を決断した瞬間の気持ち
サーフィン体験から半年、私は宮崎への単身移住を決めました。
決定的な瞬間は、誰かに何かを言われたからでも、ドラマチックな出来事があったからでもありません。
ただ、大阪に戻ったときに「やっぱりここじゃない」と感じた、それだけでした。
「やっぱりここじゃない」と感じた瞬間
2022年1月に初めて訪れてから、毎月のように通うようになった宮崎。
往復は飛行機です。旅に慣れてくると、大阪、宮崎間の移動もそれほど大変ではありません。
毎回、大阪に戻ってきて一週間くらいが過ぎた頃、私はきまってこんな風に思うのでした。
「ここで、こうやって、暮らすのがベストなのか?」
大阪は私が生まれ育った場所です。家族もいる、友達もいる、慣れ親しんだ街並みもある。
しかし、ぼんやりとした物足りなさがある。
この思いは、一時のものだろうか。いや、よく考えないと、一生後悔するかもしれない。

自分は、宮崎に行きたいんじゃない、宮崎で暮らしたい。そうじゃないか?
こういうちょっとした生活感情から、本格的に「宮崎暮らし」について考え始めるに至りました。
不安はあったが、決定的なものではなかった
「住みたい」という気持ちが固まってからも、すぐに決断できたわけではありません。いくつかの不安がありました。
私の場合、仕事についての不安は、ほとんどありませんでした。フルリモートで完結するので、宮崎に住んでも続けられる見込みがあったからです。これは、本当に大きかったと思います。
でも、ひとつだけ、消えない不安が。それは「見知らぬ土地で生活していけるのか」という不安です。
サーフィン仲間はいる。何度も訪れた場所ではある。それでも、「住む」ということは、旅行とはまったく違います。

転勤などの理由でもないのに、いきなり遠く離れた土地で一人暮らしを始める。当時はインドアな実家住まいの身。
冷静に考えれば、無謀な決断かもしれません。
それでも、宮崎に滞在した日々を思い返す度、「確かな期待」と呼べそうなものを感じさせてくれました。
何かが大きく変わるぞという可能性。
動かないままでは、何も変わらない。それだけは確信していました。
サーフィン移住の不安や移住後の苦労話は「宮崎サーフィン移住は失敗するって本当?実際に移住したサーファーの話」で語っています。
2拠点生活も考えたが、思い切って移住することに
実は、いきなり移住するのではなく、「2拠点生活」も検討しました。
大阪に拠点を残しながら、宮崎にお試しで住む形です。
メリットは明確。実家もあるし、何かあれば帰れる場所がある。
リスクが少ない選択肢として、最初は2拠点を真剣に考えました。他人に相談したら、そうした方がいいという声も結構ありました。
「失敗したときに帰れる場所がある」という保険は、とても大事だと私は思っています。リスクの少ないほうが、気軽にチャレンジできるからです。
ただ、2拠点生活にはひとつ大きな問題があります。
お金がかかりすぎるんです。一般的に言えば、家賃も光熱費も二重になる。行き来する交通費もかかる。
一時的なお試しならともかく、長期的に続けるのは、私の経済状況では現実的ではありませんでした。私の場合、実家暮らしとはいえ、この方法でじっくり移住を検討するのは難しい。

それなら、思い切って移住したほうがいい。
そう判断して、私は単身移住を決めました。
当時は家庭を持つこともマイホームを持つこともない、身軽な独身。失敗しても、また考えればいい。
2022年10月、自分の車をフェリーに乗せて、宮崎へと向かいました。
移住後に分かった「動いて良かった」3つの理由
2022年10月の移住から、ずいぶん時間が経ちました。
振り返って思うのは、移住して本当によかった、ということです。
具体的には3つの変化がありました。
1. 出会う人が変わった
最初の大きな変化は、人との出会い。環境を変えることで、これまで触れ合うことのなかった人々とも出会えます。
私の場合は主に、サーファーたち。
移住したことでサーフィン仲間とのつながりが深まりました。
月に一度、宮崎を訪れる「ビジター、お客さん」だった頃と、宮崎県の住人として日常的に海に通うようになってからでは、関係性がまったく変わります。
そして、パートナーとの出会い。
引きこもりだった頃の私は、結婚なんて考える余地もありませんでした。
出会いの場に行く気力もなければ、そもそも誰とも出会わない生活でしたから。

余談ですが、サーファー仲間のおじさんが私の知らないうちにお見合いの話を進めていたこともありました…。都会ではあまりなさそうなノリですよね。
移住先で当たり前のように人と出会い、関係を築き、家族を持つことになる。今でも、自分のことなのに不思議に感じます。
「場所を変えると、出会う人が変わる」とよく言われますが、まったくその通りでした。
2. 価値観が変わった
出会う人が変わると、自然と自分の考え方も変わっていきました。
一番大きかったのは、「行動すること」の価値を身をもって知ったことです。
引きこもっていた頃の私は、頭で考えるばかりで、何も動かしませんでした。
でも、思い切って動いてみたら、想像していたよりずっと多くのものが変わった。
そして、動いてみないと分からないことばかりだ、ということに気づきました。

いろんなことにチャレンジする力が身に着いたように思います。
これはつまり、やりたいことが増える、ということでもあります。
もうひとつは、仕事だけじゃない「豊かさ」を知ったこと。
移住してから、仕事以外にもたくさんの「豊かさ」があることを知りました。海で過ごす時間、仲間と話す時間、家族と過ごす時間。それらは、代替不可能な種類の豊かさです。
一度の人生をどう過ごすかを、本気で考えるようになりました。
40歳を超え、人生は思っていたより短いと感じるようになりました。
だからこそ、毎日を「とりあえず過ごす」のではなく、「自分で動かして生きていきたい」。そう思うようになり、今でも心がけて生活しています。
3. 人生そのものが変わった
移住の結果として、人生そのものが大きく変わりました。
結婚し、子どもが生まれ、家を建てることもできました。
自分の人生を「自分のもの」と思えるようになり、今とても幸福です。
どこに住むか、誰と過ごすか、何を大事にするか。すべて自分で選んでいる。だから、人生に対する責任も感じるし、その分だけ手応えがあります。
最後に、趣味のサーフィンが、生活の一部になりました。
「好きなこと」が「日常の一部」になる。これはとても贅沢なことです。
これから移住を考えている人へ伝えたいこと
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
最後に、もしあなたが「移住したいけれど踏み出せない」状態にいるなら、私から伝えたいことが3つあります。
1. 完璧なタイミングを待たず、「ちょっと動いてみる」ことからスタートする
ひとつ目は、完璧なタイミングを待たないことです。
「もう少し貯金してから」「仕事が落ち着いてから」「機が熟したら」と考えていると、いつまでも動けません。完璧なタイミングなんて、たぶん永遠に来ないからです。
もちろん、いきなり移住を決断する必要もありません。
私の場合、最初の行動は「友人に誘われて宮崎にサーフィンしに行く」でした。たった1回の旅行です。しかし、その一度の経験がすべての始まりでした。
もしあなたが気になる場所をすでに持っているなら、まず「旅行」で行ってみることから始めてみてください。
本格的な移住の前に、その土地の空気を吸ってみる。それだけで、自分の感覚が動き出すかもしれません。
2. 不安はゼロにしようとせず、「あるもの」として受け入れる
ふたつ目は、不安をゼロにしようとしないことです。
移住を考えるとき、いろんな不安が出てくるはずです。
- 仕事はどうするか
- 知らない土地でやっていけるか
- お金は足りるか
- 人間関係は築けるか
これらの不安を全部解消してから動こうとしても、たぶん無理です。なぜなら、実際に動いてみないと分からないことばかりだからです。

私が宮崎に移住するときも、不安はちゃんとありました。
一番大きかったのは「見知らぬ土地で生活していけるのか」という不安です。
でも、その不安は最後まで消えませんでした。消えないまま、移住しました。
不安はある。それを認める。そのうえで動く。これが現実的なアプローチだと思います。
3. 適度な「保険」を持って踏み出す
3つ目は、適度な「保険」を持って踏み出すことです。
一見、2つ目と反対のようですが、これは私が大事だと思っていることです。
リスクが少ないほど、気軽にチャレンジできます。
失敗したときに、慌てずに生活を修正できる選択肢があることや、助けてもらえる人がいること、帰れる場所があること、など。そういう保険をなるべく多く作っておけば、思い切って動けます。
私の場合、仕事関係については、フルリモートで続けられる見込みがあったので、そこは大きな保険でした。また、教員免許を持っているので、いざという時に学校で働くこともできます。
当時は独身だったので、生活が立ち行かなくなれば実家の両親に「ちょっとごめんやけど、しばらくだけでも、家に帰ってええか」と頭を下げようと思えばできました。

「自分の場合、何を保険にできるか」を考えることが大事だと思います。
👔地方移住後の仕事探しに不安がある方へ
地方移住を考えているけれど、
「仕事が見つかるだろうか」
「収入が下がらないだろうか」
と不安に感じる方も多いと思います。
私自身、移住前は生活について不安がありました。
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まずは希望する地域にどんな求人があるのか確認してみましょう。
転職活動を始める前の情報収集としても活用できます。
おまけ. 興味があるコミュニティに関わってみる
最後にもうひとつ、これは私の経験から強くおすすめしたいことです。
移住したい地域の「趣味やコミュニティ」に関わってみてください。
私の場合、それがサーフィンでした。サーフィンを通じて宮崎の仲間ができて、何度も訪れる理由ができ、最終的に移住につながった。
もちろん、趣味以外の何でもかまいません。
何か、その土地に通いたくなるきっかけがあると、移住のハードルは確実に下がります。
1回行って、2回行って、3回行って…、そうやって少しずつその土地と関わっていくうちに、
「あっ、ここに住みたいかも」が「よし、ここで暮らす!」に変わる瞬間が来るかもしれません。

地域によっては、お試し移住の体験や制度もあるみたいです。
興味がある方は一度、調べてみてください。
まとめ:人生を動かすには、自分の体を動かすしかない
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
私が宮崎移住の経験を通じて、いちばん強く感じたことを、最後にお伝えします。

それは、「人生を動かすには、自分の体を動かすしかない」ということです。
頭で考えているだけでは、何も変わりません。私は30代の半分を、頭で考えるだけで過ごして、何も変えられませんでした。
でも、ちょっと体を動かしてみたら、想像していたよりずっと多くのものが変わりました。
完璧なタイミングを待つ必要はありません。不安をゼロにする必要もありません。ただ、とりあえず、動いてみる。
もしこの記事を読んで、何かが心の中で動いたなら、その小さな揺れを大事にしてください。
それが、あなたの人生を動かす最初の一歩になるかもしれません。
あなたの一歩を、心から応援しています。



